近頃、作問のために同じ筆者の方の本を読む日々が続いている。
作問をする時には、その本の中からどの部分を抜き出せばいいかを考える作業は当然のことながら時間がかかる。
自身は、中学生向けの作問をすることが多く、ほとんどの場合は学生向けに書かれた文章を引用させてもらうことが多い。
その場合、筆者の方が伝えたいものから一ミリたりとも狂わないように、同時期に書いたほかの作品も一緒に読むことになる。
今回の筆者は、作品数がかなり多く、社会人向けの作品も多く残される方であるため、今回の作問にあたり、15作品を読むことにした。
まず、作られた作品を追っかけて、読み込むだけでもこれだけ時間がかかっているのに、自分が読み込んでいる間にも、新しい書籍が発売されるのである。
似通った内容であるとはいえ、書籍ごとにコンセプトは異なっており、これだけの書籍を同時進行させながら仕上げる著者の方のことを鑑みると、自分の作業の遅さに空しくさえなってくる。
本の中に問題にしたい箇所を書き込みながら、他にいい場所を探しながらの日々で、正直今までここまでひとつの問題作成に時間をかけたことがないくらいの時間を使っているような。
しかし、それくらいの気持ちを、作問の際には込めるものである。
自分が作成する問題が、それを解く学生たちの人生を決めるきっかけになるかもしれないと思うと、それくらいの気持ちになるものだ。
本を読むことが減ったと言われている若者が、点数を少しでも上げたいと思いながら、いつもよりも真剣に読んでくれる唯一の機会であると言っても過言ではないと思う。
学校のテストでも同じである。
問題を読まない、適当に解く。
そんなことでは解けないし、それじゃ解けない問題を作るのが私たちの仕事である。
自分が好きな作品の素晴らしいところをテストを通じて学生の方に伝えられる、この仕事はやはり最高だと思う。
数学の問題を作ることもたまにはあるが、やはり、現代文の問題作成が一番楽しい。
問題を解いた人の中で、この本に続きを読みたいと思ってしまう問題を作ることができれば、どんなに素敵なものかなと。
そんな作問者の気持ちを知っているだろうか。
それに私が気づいたのは高校2年生の頃であった。
少し現代文が得意になった頃に、筆者の人の気持ちを読み取ることの大切さを知った。
それから、さらに、作問の仕事をしている先輩に会って話を聞いているうちに、その仕事の魅力に完全に惹きこまれた。
高校3年生になり、作問者の存在を意識しながら解くことでかなり点数を取ることができるようになった。
どんなものでも、そこに関わった人がいるということ。
多くの文章の中からその文章、その箇所を選んだ理由は。作者は何を伝えたいのだろうか。その文章を用いて、作問者は何を伝えたかったのだろうか。
それを考えることで、もう少し、テストというものに向き合ってほしいなと思うのである。
会ったことはないけれども、自分のことを大切に思ってくれている人のことを大切に思える気持ちがあれば、国語の問題は解けると思う。